憧れ
音楽はずるい。
落ち込んでいるとき、明るい音楽を聴けばそんな気分になるし、暗い音楽を聴けば励まされているような気分になる。逆も然り。
音楽をやる人、目的理由は皆それぞれ違うかも知れない。カッコつけたいだけの人からなければ死んでしまう人まで。
それでも結果として出来上がったものは、誰かに響いて助け出してくれる。それは間違いなく、自然の摂理レベルで起きている。
顔も年齢も性別も恋愛対象も見た目も何もかも知らないどこにいるのかもわからない、そんな人に届いて、たしかに響いて、たしかに助けられている。生きる希望になっている。いのちを救っている。逆も然り。
責任の有無も問わず、熱量も裏話もわからないまま産み出された音楽は、勝手にどこかで誰かになにかを、している。
音楽が産み出したミュージシャンの預かり知らぬところでしていることは、ミュージシャンにはわからないし、聴いた人次第でなんでもやっている。そういう意味で、ずるい。
産み出した痛みや快感で、救われるミュージシャンもいる。ミュージシャンの状況は知らないまま、音楽だけが一人歩きして、どこかの誰かになにかを、している。
そこにはただ音楽だけがあり、ミュージシャンと聴き手の間には、実はなにもない。
繋がったような、共感しているような、そんな「気分になる」だけで、実はなにも起きていない。地球規模で見ると。
ずるい。
特に聴き手の思い込みは、夢中になっているうちはいいが、気付いた時には遅い。それでも人間の、なにか軸の端に、遺伝子の末端に、脳のシワの小さなひとつに、刻まれているように、音楽を求めて救いを求めて、イヤホンを挿す。
それは本能に、欲に似ている。
私は音楽をやった理由は忘れてしまったが、やらなければならない感情があったから、たぶんやらなければ歪んでいたんだろう。カッコつけたい気持ちもあった。それでもステージの上で、スタジオで、ライブの最中もレコーディングの最中も確かに感じていた。身が削れていくこと、魂が満たされていくこと、みぞおちから湧き上がるなにかが果てしなく大きくなっていく感覚を。
それでも辞めたのは、大学を出てサラリーマンになるという糞みたいな理由でだった。
いまそうなってみてわかるのは、音楽はなくてはならないものだったということだ。
電気で拡張された海の中にいること、その渦を作る一員であること、脊髄から反応して身体中の毛穴から数多の感情を吐き出すことは、確かに生きがいで、なければ不都合がでてくるものであった。
約10年。音楽を辞めてから経った今わかること。
どこの誰だか知らない誰かが魂を込めた音楽を聴きながら、確かに救われながら想うこと。
ミュージシャンへの揺るがないリスペクト。
自分の愚かさ。
やりたいこと。
自分と同じように救われるひとが増えればいい、なんて死ぬほど教科書通りの感情に素直になれた、夜10時。
家族を想い、老い先を想い、一度きりの人生を想った。
このまま生きていくことは正しいのだろうか。
楽だろうが、退屈な日々にならないだろうか。
家族との時間で満たされた気になっていないだろうか。
このまま過ごしていったときに、救われる為の器に蓋がされないだろうか。
恐怖。
どうすべきか。
音楽に答えを教えてもらうほど、弱い人間じゃないはずだ。自分で考えろ。
己の人生の優先度を。
人としての尊厳を。
そして自分で決めた道を自分で歩いていくんだ。
心が動かなくなったとき、人はきっと一度死ぬ。